読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

死ぬまでに、やめるから。

それまでは、OTAKUでいさせてくれないか。主に丸山隆平さんと関ジャニ∞について。

TVBros 2.27→3.11〜おそ松公論を読んで、関ジャニ∞を考える。

関ジャニ∞ 丸山隆平 その他
このタイトルを読んで、「あれ?関ジャニ∞の特集が組まれていたかな?」と首を傾げ、不安に見舞われたあなた。この号は、昨今世を席巻しているニートでDTな6つ子達が表紙ジャックした、おそ松さん特集回なので安心されたし。丸山さんのセクシーなグラビアはありません。
じゃあ、関ジャニ∞と何も関係ないじゃん、と言われたらそこまでなのだが、この特集に掲載されていたおそ松公論が興味深かったので、関ジャニ∞を踏まえて感想程度に記事にしたい。

このおそ松公論とは、アニメ「おそ松さん」をテーマにした二つの評論・考察である。その中の一つ、西森路代さんの『「おそ松さん」における"素"そして"背負う"〜ファンは何にハッとさせられるのか』が特に興味深かったので、紹介したい 。

この評論では、おそ松さんとアイドル文化における共通点や相違点を例として、その"素"やキャラクターを"背負う"ということについて述べられている。
この評論の中では、私達と同じ世界軸、つまり、三次元に生きるアイドル達には、生きている限り情報は無限にあるが、二次元であるところの「おそ松さん」の情報は有限だ、という違いについて書かれているのだが、この違いについては、両者のファンとして痛切に感じるところであり、またどのようにファンを続けるかを考えさせられるところでもある。

関ジャニ∞は、彼らがアイドルとして、芸能人として活動をしている限り、何らかの情報が入ってくる。しかしそれは、この評論の中で述べられている『公に仕事をしているところだけが情報としてファンに共有されている』状態だ。『アイドルの素が見たいファンのために作られたドキュメンタリーやメイキングは、あくまでカメラが廻っている中での"素"である』という指摘は、まさに、丸山さんがメンバーから言われる『メイキングをメイク』している状態である。
本当の"素"が見えない、というのは私の中では非常に良いことであり、同時に恐怖でもある。私の担当である丸山さんを例に出してしまうが、私の見える範囲の丸山さんは、ファンを大切にし、誰にでも気を遣える、真面目で優しい人間というイメージが根底があり、そこに、ギャグはすべり、メンバーからいじられ、MCではやたら噛んで、時に人の名前を間違えてしまうちょっとポンコツさを持ちつつも、やる時はやるし、やれば出来る格好良さを持つイメージがある。
だが、果たして、このイメージはどこまで丸山隆平という人間を正確に表すのか、と疑心暗鬼になることは多々ある。一年近く丸山さんのファンをやってきたけれど、本当は何一つ分かっていないんじゃないか、という不安は常に付き纏う。そして、私の中にある丸山さんに対するイメージが崩れるような情報が入ってこないとは限らない、ということが何より怖い。イメージが崩れる、ということはファンにとって相当の心理的なダメージを与えるのは勿論だが、その事実を突きつけられてもなお、ファンとして応援出来るのだろうか、というようなことを、私は考えてしまう。重たいファンである私は、もし、彼の素を知ることにより応援出来なくなったら、それは本当のファンではないのではないか、とか、それは丸山隆平という人間に対する裏切りのような気がしてしまうのだ。

でも、アニメのキャラクターであるおそ松さん達には、そのような気持ちにはならない。
アニメのキャラクターには、キャラクターとしての一貫性がある。そのキャラクターから逸脱する行為が描かれるにしても、ギリギリ、このキャラクターなら考えられるな、という理屈が通る範囲に限られる。万が一、その理屈からはみ出してしまったとしても、あくまでアニメのキャラクターであり、私とはまったくの別次元にいる存在なのだ。だから、多少、自分の都合の良いように解釈しても許されるような気がするし、原作でバッドエンドだとしても、妄想でハッピーエンドにすることだって出来る。だからこそ、安心して見ていられる。
何より、ギャグアニメだからこそ許されるリセット要素が、心をフラットにするのだろう。
例えば、おそ松さんの中で、カラ松というキャラクターが、見た目も性格もドブスな花の精と結婚してしまう回がある。しかし、この番組はギャグアニメなので、次の回では、その事実がまるでなかったかのように、違うエピソードが始まる。劇中で殺されたり、カーレースで死んだとしても、何度だって蘇る。

しかし、アイドルはそうじゃない。
もし、アイドルが結婚すれば、そのプライベートを見せないようにしていたって地続きになるし、彼らが死んでしまったらもう二度と生き返ることはない。全ての情報はAからBへと繋がり、やがてCやDになり、昇華されてEやFになる。光も影も全て背負わされ、それが、その人のキャラクターになり、グループの歴史として刻まれる。だから、少なくとも私には、アイドル達が辿るバッドエンドを、ハッピーエンドにすることは出来ない。バッドエンドすら呑み込んで歩かなければならないし、そもそも、彼らの身に起こったそれが、バッドなのかハッピーなのかすら判断することは出来ない。

だからこそ、アイドルを応援するのはしんどい。いつだって全力で応援したいけど、結局は物語の傍観者でしかいられず、全ては目に見えないところで始まり、終わっていくのだ。その事実に、時に無力感を突きつけられ、時に失望さえする。
それでもアイドルを応援するというのは、心身削られようとも、応援したい何かがあるからだ。彼らが背負わなければならなかった痛みや悲しみすら共に共有し、「あの時があったからこそ、ここまで来られた」という言葉をいつか共に噛み締めたいからなのだろう。

でも、最近になって、多少の浮気はアリなんじゃないか、って思ってきた。健全に応援するための健全な浮気。ともすれば病みがちになってしまうヲタにとって、自担以外にも好きなものがある、ということは、時にガス抜きとなり、時に支えとなり、戻ってきた時の武器になると思う。
「いかんとって」と、「韻踏ィニィティ」の中の丸山さんが切なく縋っているが、浮気お嬢さんであるところの私は、アイドルもアニメも、関ジャニ∞もおそ松さんも好きでいたいと思う。