死ぬまでに、やめるから。

それまでは、OTAKUでいさせてくれないか。主に丸山隆平さんと関ジャニ∞について。

さよなら、プレアデス。

縁切寺に行ってから、私の2018年は別ればかりが続いている。

慣れた仕事から全く違う仕事になって、仲の良かった先輩とは別の部署になり、もう1人の仲良しの同僚は仕事を辞めるといい、すばるくんは関ジャニ∞を脱退するという。

 

ーー渋谷すばるが、関ジャニ∞を脱退する。

 

未だにその事実が受け入れられなくて、関ジャニ∞が201∞年の記念の年に仕掛けた、盛大なドッキリでエイターテイメントなんじゃないかと思う時がある。むしろ、そうだったらいいのに、なんて悪あがきをしてみるけれど、朝の番組で会見の様子を見るたびに現実を突きつけられ、涙が滲み、ぐるぐるとくらい渦に呑み込まれていきそうになる。

 

グループのメンバーがいなくなることが、こんなにもショックなことだなんて思わなかった。だって、自担は丸ちゃんだよ?自担は居るんだからいいじゃん…なんて考えには全くならず、痛みと喪失感は日を追う事にボディブローのようにじわりじわりと効いてくる。

 

事実は小説よりずっと残酷で、それなのに、ひとつのよく出来た物語のように酷く心を掴んで離さない。悲しみが深ければ深いほど、頭の中は関ジャニ∞に締められて、辛さと同時にどうしようもないほどの愛しさが増す。

 

メンバーが居なくなることは、エイト自身が1番辛いはずなのに、それでも、仲間のために、エイターのために、メンバー揃って記者会見に臨んでくれた。私達が聞きたいと思ったことを、彼らは画面を通して教えてくれた。それだけで、私は関ジャニ∞というアイドルのファンで居られることを誇りに思うし、これからも変わらず応援していきたいと思う。

 

でも、やっぱりどうしてだか、「お願いすばるくん、行かないで」という幼い子の駄々みたいな気持ちが溢れてやまない。

私は関ジャニ∞の7人が永遠だと思っていた。変わらないものなんてないことは分かっていたつもりでしかなかった。

同年代の今なら分かる。この年になって、今まで築いてきたものを投げ打って新たな挑戦をすることがどれほど勇気の居ることか…その挑戦を決断出来るすばるくんは、やっぱり凄い才能の持ち主なんだろう。だから、ファンとしてその決断を笑って見送るべきなのだろう。

頭ではそう分かっているけれど、それでもやっぱり行かないで欲しかった。キラキラと雪の舞うスノードームのような関ジャニ∞という世界にいて欲しかった。自分勝手な願いであるのは重々承知で、仲良くわちゃわちゃしている7人を死ぬまで見ていたかった。

 

書けば書くほど泣けてくるので、しばらくは悲しみに浸ろうと思います。