死ぬまでに、やめるから。

それまでは、OTAKUでいさせてくれないか。主に丸山隆平さんと関ジャニ∞について。

応答セヨ

応答セヨを聞かねばならないこの大事な時期にパソコンが壊れたのである。

あまりにも突然、ぱったりと動かなくなったので、データバックアップの脇の甘い私にはもはやいかんともし難く、「修理には5、6万かかるかも」という絶望的な言葉に、過去とすっぱり決別し、新たな相手を探すか悩むばかりなのである。

これこそホントの「応答セヨ (パソコン)」

 

くだらない前振りはこれくらいで、早速ニューシングルを聞きました。

私は今回、エイト限定版のみ購入したのでこちらの感想で…というか、なんでこれしか買ってないのか自分でも良くわからない。多分、応答セヨとSweet ParadeのMV両方が着いてくると勘違いしていたんだと思います。天下のJ事務所がそんな甘い売り方するわけ無かったと反省。ああ、応答セヨのMVも見たい…。

 

「応答セヨ」を真に語るには、泥棒役者を観ることが必須になるんだろうなぁ、と作詞:新藤晴一の文字を見つめながら思っています。ポルノグラフィティ新藤晴一さん作詞と言えば、聞くものの妄想を膨らませる歌詞を書かせたら右に出るものは居ないと(私の中で)有名ですが、今回もその才能がいかんなく発揮されているのではないかと、歌詞カードを眺めながらワクワクしている。

作曲が本間昭光さんでも岡野昭仁さんでもポルノグラフィティでも無いのに、何故かポルノグラフィティっぽさを感じるのは、作詞で新藤晴一フィルターがかかっているからなのか。「応答セヨ」のセヨがカタカナにされているだけで新藤晴一作詞っぽいし、「猫のあくびが 途絶えた頃には 三日月ライトの 紐をそっと引っ張る」とか比喩暗喩隠喩メタファーめいた歌詞なんてたまらないよね。

今回、映画についても楽曲についてもあまり情報を入れていなくて、本当に妄想の範囲になるのだけれど、個人的には「垂直ジャンプ 0.5秒 20センチ」辺りが物語とさりげなく関連していると予想。その後の歌詞と繋げて、「小さな一歩でも願いに近づいている」ことを表すにしても、この表現だけ唐突な気がする…ということは何か意味があるのでは、という勝手な勘ぐりである。どこかで丸ちゃんが垂直ジャンプするシーンがあるに違いない…え?違う?

あとは「さぁ早く行かなくちゃ 約束という名の嘘になる前に」辺りは泥棒役者のキーワードになる言葉じゃないだろうか。ここの言葉だけ切り取っても、映画のキャッチコピーに出来そうな仕上がりだよね。泥棒に入った家で次々と勘違いされて別の人物を演じるストーリーだから、早く立ち去らなければ、大事な約束が果たせなくなるのかな、とか。本当に、この部分を考えただけでも、早く映画を見に行きたくなります。

 

あとは、Twitterかブログで見た「応答セヨ 流星」のところが「応答セヨ 隆平」にも聞こえるという情報をプラスしてしまうと、この曲が、大貫はじめという劇中の人物だけでなく、丸山隆平という人物の背景も含めた壮大な応援ソングに聞こえて、丸山担垂涎の妄想ソングになってしまうのである。

流星は隆平で、僕(隆平)を信じてくれた遠い日の僕(隆平)であり、地上でもがくのも、願いを抱いて旅の途中にいるのも隆平で、いつかスターライダー隆平になると考えると、現在、映画の主演になるほどの活躍をしている(丸山)隆平が、そこに至るまでに積み重ねてきた努力や歴史に思いを馳せざるを得ない。一つ一つの歌詞に勝手な妄想を重ね合わせては、胸が熱くなる。もはや、隆平隆平言い過ぎて、よく分からないけど、丸ちゃんの不器用ながらも誠実に向き合いながら前に進む姿を思い描いては、頭の中で勝手に映像が流れてくる始末です。

最後に、「子どもの頃に~」丸ちゃんの甘い歌声、最高です。贔屓目なのは重々承知なんだけれど、きゅんとした甘さの歌声が更に磨き上げられている気がする。Sweet Paradeの出だしも非常に可愛らしいんだけれど、こっちは甘さの中の切なさを感じるんだよね。

 

本当はSweet Paradeについても書く予定だったのだけれど、一記事が歌詞の妄想を熱く語るだけで終わってしまいました…いやぁ、晴一さんの歌詞って魔性だわ。